大学を卒業した。

 

日曜の夕方は、決まって父と近所のスーパーに夜ご飯の材料と明日の朝に食べるパンを買いに行った。僕はその頃流行っていたポケモンパンが好きで(正確にはシールが欲しかっただけだが)、毎週自分なりの言い訳を作っては、父に2つ買ってもらった。

買い物の後は2階の小さなゲームコーナーでレースゲームをするのが習慣だった。

「パパは昔、本気でF1レーサーになろうとしてたんだよ」

そんな事を言っていたのをうっすら覚えてる。

ゲームは結局一回も勝てなかった。

「パパに勝てるのはお前が大人になった時だな。」

早く大人になりたかった。

運動会で、リレーの選手に選ばれた僕を父はとても褒めてくれた。

「なんでも好きなもの買ってやる。」

コタツを買って欲しいとねだると、次の日にはコタツと、最新の瞬足(コーナーで差をつけるやつ)を買ってくれた。

そして毎日リレーの練習に付き添ってくれた。

練習のしすぎで靴の裏が破けてしまい、運動会本番で、転んで3位になった。

観客席で大泣きする僕の背中を、父は笑いながら優しくさすってくれた。

きっと僕は愛されていた。

僕といる時、いつも父は笑っていた。あの頃の僕は「幸せ」の使い方を知らなかったけど、今振り返れば、あれは間違いなく「幸せ」だった。

 

今日、大学を卒業した。

特にこれといった思い出はない。サークルにも入らず、ゼミにも入らず、友達も作らず、ただぼんやり、あっという間に過ぎ去った。

大学生活最後の授業が終わったあと、誰もいない校内を歩いた。

壁に貼り付けられた無数のポスター、いたずら書き、西陽が差す廊下。

思い入れなんてこれっぽっちもないのに、なんとなく寂しくなった。

 

人は、今が永遠じゃない事に気がつくと、突然怖くなりすべてが狂おしく、そして愛おしくなる生き物だ。

ただ、皮肉にも毎回その事実に気がつくのは、最期を指先で感じた瞬間で、その時はもうすでに遅い。何もかも手遅れなのだ。

そんな当たり前のことを、何度も間違えて、そのたびに後悔し、苦しむ。

 

父との思い出のスーパーは、今はもう無い。

あれから12年が経ったが、僕は何も成長してない。

あの頃の僕はただ、早く大人になりたかった。

大学を卒業したら大人になれると思っていたが、そんな簡単な事でもないらしい。

 

もう一度父に会いたい、

2人で買い物をしたい

「ありがとう愛してる」と言いたい。

願ったって無駄だ。もう戻れない。

きっとこんな風にこれからも僕は間違いを繰り返し、後悔を重ねて生きていくだろう。

 

大人のなり方がわからないのなら、

せめて今この瞬間が、どれほど大切で愛おしいのか、それがわかる人になろう。

もしかしたらそれが父の言っていた「大人」かもしれないから。

 

天国で逢えたらその時またレースゲーム、やろうね。

次は勝つからさ。

 

Fin.

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