【ドラえもん】のび太がジャイ子を殺して死刑になる話

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のび太が死刑になる話

これは2013年8月に2チャンネルに投稿された「ドラえもんファン」による創作最終回です。

しかしその物語の完成度の高さに今でも評価され続けている作品です。

【ドラえもん最終回】のび太が死刑?!死亡?!4つの最終回と幻の最終回があるのを知っていた?

7月 13, 2019

それではご覧ください!

 

数年ぶりに足を踏み入れた野比家は、昔とは違う、どこか余所余所しい匂いがした。

のびママ「いらっしゃい、しずかちゃん…」

頭に白いものが目立つようになった彼の母が、力のない声で私を和室へと案内してくれた。
こうして彼の母と向き合って座ると、私の胸は懐かしさでぎゅっと締め付けられるようだった。
あの頃の、楽しかった思い出が頭を駆け巡る。
テレビを見ながら眠ってしまった彼を尻目に、二人でガールズトークに花を咲かせたのもこの和室だ。

そんな時、彼の母は決まって「息子には内緒ね」と舌を見せながら、隠しておいた高級菓子を私に出してくれたものである。
彼の母には、一時期とてもよくしてもらっていた。

のびママ「今日は悪いわね、しずかちゃん。お仕事、忙しいのでしょう?私達のことなんてもう忘れてくれていいのよ」

一方的にやって来たのは私のほうなのに、彼の母はひどく卑屈な言い方をした。
以前なら、こんな言い方しなかった。
数年で、人はここまで変われるものだろうか。
だが野比家の状況を考えると、わからないでもない。
彼の母は、この数年の間にあらゆる限りの暴言、罵詈雑言を浴びせられ、世間から好奇と悪意の眼差しを受けたのだ。
それはきっと、私には想像もつかないほどの長い長い地獄の日々。
それでもこうして生活を保っているのだから、やはり女性はタフだというのは本当だろう。
一方彼の父は早い段階から精神を病み、自己の暗い世界へと逃避してしまったと聞く。

しずか「おばさん、そんなこと言わないでください。結局私はおばさんの娘にはなれなかったけど、今でもおばさん達のことは大切に思っているんですよ。どうか他人行儀の言い方はよして」

のびママ「…ありがとう。でもいつまでもあなたのような若くて綺麗なお嬢さんを、うちに縛りつけておくことはできないわ」

彼の母が気休めの言葉など求めていないことは、その様子から見てとれた。
辛い。
だけど人間は生きてる限り、前に進まなければならない。
私は決心して、本題に入った。

しずか「あの、今日はお願いがあって来たんです」

のびママ「お願い?」

しずか「はい、のび太さんの部屋を見せてもらえませんか?」

私は了解を得て、野比家の階段を上がった。
襖を開けると、そこに広がる懐かしい光景に、涙が溢れそうになった。
だが今は泣いている暇などない。
私は早速、彼の使っていた机に歩み寄った。
そっと引き出しを開ける。
中は空だった。
とても彼らしい。
彼はずっと信じていた。
いつか再び、この引き出しが開いて、中からドラちゃんが顔を出す日を、信じてずっと待っていた。
だから引き出しに何も詰めず、空のままにしていたのだ。

しずか「お願いドラちゃん…どうか、帰ってきて」

無駄だとわかっていた。
それでも私は引き出しの中に向かって、そう呼び掛けずにはいられなかった。

しずか「ドラちゃん…」

ドラちゃんがその役目を終え、未来に帰ったのは、彼の大学合格が決まった翌日だった。
滑りの悪くなった引き出しを閉めると、ギイギイと耳障りな音が響いた。
私は今度、押し入れに向かう。
まさかとは思ったが、念のためそこにドラちゃんのスペアポケットがないか確かめるつもりだった。
しかし、押し入れの中には彼の参考書や書籍類が詰められているだけで、他に何もないことは一目瞭然だった。
私は、自分が失望していることに気付いた。
この部屋に来れば、ドラちゃんが置き忘れていった何かが手に入ると、心のどこかで期待していたのだろう。
いい歳をして、何て都合のいい事を考えていたのか。
自分が恥ずかしい。
この部屋に足を踏み入れた瞬間から、気付けたはずだ。
ここにはもう、ドラちゃんがいた形跡は何一つ残っていない。
この部屋で寝起きしていた人物――のび太さんの物静かで聡明な人格が現れているだけの、普通の部屋ではないか。

しずか「お邪魔しました」

玄関で靴を履くと、私は彼の母を振り返った。
その顔を見た途端、堪えきれずに言葉が口をついた。

しずか「また、遊びに来てもいいですか?」

自分がこの家を出た瞬間、彼の母が死んでしまうのではないか、もう二度と会うことが出来ないのではないか、そんな気がして不安だった。

のびママ「いいえ、来ては駄目よ」

しかし彼の母は、厳しい口調でそう言った。

しずか「え…?」

のびママ「あの子は…のび太はもうここへ帰って来ない。しずかちゃん、あなたには感謝しているし、今でもとても可愛く思っているわ。だけどお願い、私の気持ちもわかってちょうだい。辛いのよ…あなたを縛り付けておくようで、」

しずか「そんな…私は自分の意思で今日ここへ来たんです。縛り付けられてるなんて思ってません!」

のびママ「お願いよしずかちゃん、あなたには幸せになってほしいの。もうあんな馬鹿な息子のことなんて忘れて、自分の人生を歩んで欲しいのよ」

野比家を出ると、私の足は実家には向かわず、とぼとぼと駅を目指していた。
たまには実家に顔を出せと、母からはまたネチネチ言われるだろう。
だけどそんなこと、今はどうでもいい。
彼の母に言われた言葉が、ショックだった。
自分は前だけを見て歩いていると思っていた。
前向きに、彼のために出来ることをしようと考えていた。
しかしそれ自体が、現実から逃げていることの証明だったのだ。
彼の母は、私が思っていた以上に気丈だった。
少なくとも今の私よりは、現実を受け入れていた。

中途半端に混んだ電車に乗り、アパートの最寄り駅で降りた。
冷蔵庫に何も入っていないことを思い出したが、もう買い物をして帰る気力がない。
今晩はカップラーメンで済まそうと、家路を急いでいると、前方から細身のスーツを着た男が歩いて来た。

しずか「スネ夫さん…」

私は驚きのあまり、思わず男の名を口にした。

スネ夫「やあ、そうか君はこの辺りに住んでるんだったね」

スネ夫さんは愛想のいい笑顔を浮かべた。
しばらくその場で当たり障りのない会話をしていると、スネ夫さんは夕食を一緒にどうかと誘ってきた。

しずか「でもスネ夫さん、仕事中じゃないの?」

スネ夫さんが父親の経営する会社に就職し、忙しくしていることは人づてに聞いていた。

スネ夫「今終わったところだから問題ないよ。どうせ役職なんてお飾りで、会社に戻っても僕の仕事なんてないようなものさ」

スネ夫さんは自虐的にそう言うと、先に立って歩き出した。
仕方なく私は彼について行く。

スネ夫「予約してないけどいいよね?骨川だけど」

レストランは、スネ夫さんの行き付けのようだった。
すぐさまマネージャーらしき男が出てきて、丁寧な物腰で私達を奥の個室へと案内する。
メニューを渡されてもよくわからなかったので、オーダーはすべてスネ夫さんに任せた。
届いたワインで乾杯をし、グラスに口をつける。
変な味がしたが、スネ夫さんはとても満足そうに飲んでいた。

しずか「今日、のび太さんの家に行ってきたわ」

肉料理が届いたところで、私は切り出した。
ずっと、誰かと彼の話をしたかった。
今日スネ夫さんに出会えたのは、予期せぬ幸運だった。
まさか会社の同僚達に彼の話など出来ない。
口にしたところで、怪訝な表情を浮かべられ、すぐに彼氏やスイーツの話題にシフトされてしまうことだろう。
彼の話をするなら、私と同じように彼のことをよく知っている人物とでなければ虚しいだけなのだ。

スネ夫「へえ、のび太の家に?何しに行ったんだい?」

しずか「うん、ちょっとおばさんの顔も見たかったし」

スネ夫「そうか」

スネ夫さんは、複雑な表情を浮かべた。
私のことを責めるべきかどうか、思案しているようだった。

しずか「もしも今、ドラちゃんがいてくれたら…」

スネ夫「ドラえもん?ははっ、懐かしいな」

しずか「ドラちゃんがいたら、助けになってくれたと思うの」

スネ夫「まさか。ドラえもんは確かに不思議な道具を持っていた。だけどそれらが人の生き死にを左右することは出来ない。君だって知ってるだろう」

しずか「ええそうね、いくらドラちゃんの道具でも、死んだ人間を生き返らせることは出来ないわ。だけど」

スネ夫「え?」

しずか「無実の人間を救うことは出来るかもしれない」

私は慎重にそう言った。
スネ夫さんを窺うと、無言で目を伏せている。
私はスネ夫さんの言葉を待つ間、皿の肉を口にした。
香草がきつく、ただ油っこいだけの料理だった。

スネ夫「ジャイアンとは話したのかい?」

やがてスネ夫さんが、震える声で言った。

しずか「いいえ、武さんとは会ってないわ」

スネ夫「ジャイアンに会っても、今みたいな発言は絶対にしてはいけないよ。想像してほしい。妹を殺されたジャイアンの気持ちを。しかも犯人は自分の幼馴染みなんだぜ」

しずか「違うわ!のび太さんは犯人なんかじゃない!」

スネ夫「もう決まったんだよ、しずかちゃん!僕だって辛いよ。だけどもう、のび太の死刑は決まったんだ!のび太はジャイ子ちゃんを殺した。それは紛れもない事実なんだ!」

スネ夫さんは目の前の皿を手で押し退けると、テーブルに突っ伏してしまった。
小刻みに肩を震わせている。

しずか「そうね。のび太さんは死刑…」

私は気を落ち着かせようと、ナプキンでテーブルの上の水滴を拭った。

しずか「法律が、世間が、そう決めた。だけど、スネ夫さんはどうなの?スネ夫さんの中でも、犯人はのび太さんで決定なの?ほんの少しでも、幼馴染みの無実を信じる気持ちは残ってないの?」

スネ夫さんは、大きく肩を震わせると、くぐもった声を洩らした。
私はもうどうにも気持ちを抑えきれなくて、スネ夫さんに言葉をぶつけた。

しずか「スネ夫さん、あなたの目から見て、野比のび太という人間は、殺人を犯すように見えた?ねえ思い出して。中学生の時、先輩にいじめられたあなたを助けてくれたのは誰?」

しずか「私がリコーダーを盗まれて困っていた時、見つけてくれたのは誰?武さんが家出した時、何日も学校を休んで探し回っていた人は誰?出来杉さんが痴漢で捕まった時、その濡れ衣を晴らしてくれたのは誰?答えてよスネ夫さん!」

スネ夫「…のび太だ…グスン…」

しずか「そうよ!のび太さんは困っている人を見捨てられない優しい人間なのよ。あなたを庇ったことで今度は自分が先輩に殴られても、のび太さんは笑っていたわ」

しずか「家出した武さんを探し回っていて、その間の無断欠席を担任の先生に怒られた時も、言い訳せずに反省文を書いていた」

しずか「出来杉さんに痴漢の濡れ衣を着せた女子高生を探すため、何日も真冬の駅に張り込んだ挙げ句高熱を出して倒れた時も、のび太さんは自分の体ではなく出来杉さんのことを心配していた」

しずか「誰かを助けるためなら自分が馬鹿を見ても構わない、そういう不器用な人なのよのび太さんは!そんなのび太さんが殺人なんて犯すわけない」

しずか「マスコミは幼い頃ののび太さんの駄目エピソードばかり並べて、世の中に不満を抱えた典型的殺人犯に仕立てあげる報道ばかりしてるけど、ずっと身近でのび太さんを見てきた私達なら、彼の真実を訴えられるはずよ!」

しずか「お願い、スネ夫さん、のび太さんの無実を証明するために、私と一緒に動いてほしいの」

スネ夫「動くたって、勝算はあるのかい?しずかちゃん」

そう言って顔を上げたスネ夫さんは、もう泣いていなかった。
だけどその表情は私の求めていたものとは、真逆のものだった。
スネ夫さんは底のない暗闇を見つめるような目で、じっとテーブルを睨んでいる。

スネ夫「僕だって今まで何もしないでいたわけじゃない。のび太が捕まって最初の頃は、のび太の疑いを晴らすために色々行動したりもしたさ。そのための資金をパパに頭を下げて借りたり、有能な弁護士や探偵を雇って証拠を探させたり」

スネ夫「でもいつか気づいたんだ。のび太自身がそれを望んでいないことに。裁判でものび太は自ら極刑を望む発言を繰り返していた。さらに僕が裏で動いていたことを、ジャイアンに勘づかれた」

スネ夫「そのことでジャイアンは僕を責めはしなかったよ。ただ、僕に裏切られたと思い、失意の表情を浮かべるだけだった。僕はやっと気づいたんだ」

スネ夫「幼馴染みを救おうともがけばもがくほど、もうひとりの幼馴染みを絶望の淵につき落としていることに。ジャイアンはこれからもずっと、被害者の遺族なんだよ」

私は静かに席を立った。
もうスネ夫さんとは話せないと思った。
テーブルを隔てて、私とスネ夫さんの距離はずっとずっと遠い。
だからあの頃のように話せないのは、わかっていたはずなのだ。
それなのに思わぬ再会に甘え、スネ夫さんの立場も考えずに自分の思いだけぶつけた自身に、腹が立った。
私はなんて身勝手な人間なのだろう。

しずか「のび太さんはきっとまた誰かを助けるために、嘘をついているんだわ。私はのび太さんが真犯人を庇っているのだと考えてる」

最後にそれだけは伝えて、私はレストランを後にした。
これでまた一つ、私は友人を失った。
スネ夫さんはもう、こんな私とは会ってくれないだろう。

翌日、私は何事もなかった顔をして出社した。
町外れの小さな配送会社はそれなりに居心地良く、そこで代わりなら吐いて捨てるほどいるであろう、簡単な事務処理をするのが私の仕事だ。
我ながらぬるま湯だなと思う。
では他に何かやりたいことがあるのかと問われたら、私には答えることが出来ない。

同期「ねえこれ、しずかの実家の傍じゃない?」

席に着くと、隣から甘ったるい香水の匂いとともに、同期が話しかけてきた。

しずか「何?」

同期「ほらこの記事…」

同期が週刊誌を押し付けてくる。
確かに記事には私の実家近くの地名があり、おどろおどろしい字体で『身元不明の少女、山中で発見』と見出しが出ていた。
私はそれを食い入るようにして読んだ。

同期「しずか?」

私があまり真剣に記事を読んでいたためか、気がつくと同期が心配そうにこちらを覗きこんでいた。
私は週刊誌を返す。

しずか「やだぁ~何で朝からこんなババ臭い雑誌読んでるのよ」

同期「へへっ」

うまく笑顔を作る私と、これまたうまく肩をすくめて見せる同期。
互いにぎりぎりのラインを見極め、相手に深く踏み込まないよう気を付けている。
それがこの会社で、同僚とうまく付き合うコツだ。

同期「あ…」

ちょうど背後を通りすぎたお局様の咳払いに、二人同時に肩をすぼめた。
お局様の前でババ臭いという言葉は禁句だ。
その時、後輩が私達の間に割って入ってきた。

後輩「せんぱ~い、パソコン動かなくなっちゃったんですけどぉ~」

私はやれやれと立ち上がり、彼女の席まで歩いて行く。
全体的に見れば私もまだ彼女のように、若い部類に入ることだろう。
だけどあと数年もすれば、お局グループの仲間入りだ。
ずっとこの場所で私は老いていくのだろうか。
いつか誰からも見向きされなくなる日が来るのだろうか。
その日が来るのが、たまらなく怖い。

後輩「あ、動いた!せんぱ~い、ありがとうございますぅ」

そう言ってはしゃぐ後輩の肌はつるりとしていて弾力があり、私は無意識のうちに彼女から目を逸らしていた。

仕事は滞りなく終わり、私は野暮ったい制服から着替え、会社を出た。
そのままアパートには向かわず、駅を目指す。
それは同期に週刊誌の記事を見せられた時から、決めていたことだった。

しずか「あの記事にあった山とは、裏山のことだわ…」

昼休みを潰して調べたところ、記事にあった少女の他に、同じ山から身元不明の人物が保護されるという事件が、最近相次いでいるという。
保護された人物は皆、支離滅裂な事を口走り、情緒不安定。
私には、もしかしたらという気持ちがあった。
だから今日、発見された少女に会ってみようと思った。
私は電車からバスに乗り換え、地元の市立病院へ向かった。

しずか「あの、裏山で保護された少女の病室はこちらですか?」

受付で尋ねる。

受付「警察の方ですか?それとも…ご家族?」

しずか「えっと、家族かもしれないんです」

私は嘘をついた。
受付係はどこかに電話を掛けた後、そこで待つようにと待ち合い室のソファを指し示した。

少し待つと、大股で歩く足音が近づいてきて、私の傍でぴたりと止まった。
顔を上げようとして、頭上から野太い声が降ってきた。
私は驚いて立ち上がり、その人物の顎に頭突きする形となってしまった。

しずか「あ、ごめんなさい。大丈夫ですか?…武さん」

武さんは顎を押さえながら、ゲラゲラと笑った。

武「なんだ、面会希望で呼び出したのはしずかちゃんだったのか」

子供の頃から変わらず、大柄な体型を維持している武さん。
しかし以前のような威圧的な感じはなく、その白衣姿には風格さえ感じられた。

しずか「医者になったとは聞いてたけど、この病院に勤めてたのね」

武「ああ、去年からな」

武さんはよそよそしくそう言うと、ちらりと受付を見た。
それから私をエレベーターまで案内してくれた。
到着したエレベーターには、看護師がひとり乗っていた。
武さんは私とは目を合わさず、ずっと階数表示を睨んでいた。
だが看護師が3階で降りると、急に以前のような調子に戻り、言った。

武「受付から連絡あったけど、患者の家族かもしれないって言うのは、嘘なんだろ?」

しずか「え…?」

武「特殊な例だから、患者の面会には慎重になっているんだ。家族のフリをして患者に近付き、ネタを仕入れようとするマスコミ関係者も多くてね。いつもなら受付からの連絡に俺が出て行って、追い返すようにしてる。ほら俺、こんな顔だから効果あるんだ」

そう言って笑う武さんの顔に、私は妙に納得してしまった。
ずる賢い記者も、やって来た医者がこんなプロレスラーのような風貌の男なら、尻尾を巻いて逃げただろう。

しずか「でも私には会わせてくれるのね。例の裏山で保護された少女に…」

武「ああ、しずかちゃんは特別だよ。悪意はないみたいだからな。だけどなんだってあの患者を気にしてるんだ?」

しずか「え、ええ…裏山って聞いて、やっぱり幼い頃の遊び場だったところだし、気になって…。それに私、短大で児童の心のケアについて勉強していたから、何か力になれないかなって思ったのよ」

私の嘘に、武さんは特に疑う様子を見せなかった。
その代わりに眉を寄せて、「難しいと思うけど」とだけ呟いた。

武さんの言葉の意味は、少女の病室に入った瞬間、理解できた。
少女は全身をほぼ包帯で巻かれ、ベッドに半身を起こしていた。
話しかけても返事はなく、ぴくりとも反応しない。

しずか「武さん、これは…」

武「怪我は見た目より酷くはない。ただ、発見されるまでかなり長い時間、裏山をさ迷っていたらしく、どうも野犬に襲われたらしい。その時のショックで、彼女は言葉を失い、すっかり心を閉ざしているようなんだ。日がな一日、こうしてただぼうっと座っているだけだ」

しずか「他に裏山で保護された方たちは、この病院に入院してないの?」

武「いいや。この患者だけだ。他はみんな精神科のある病院に収容されてるはずだぜ」

しずか「確か、保護された人はみんな言ってることがおかしくて、情緒不安定って聞いたけど…」

武「ああ。だけど彼女に比べたらそっちのほうがまだマシさ。狂えるだけね。彼女は狂うことも出来ず、外界からの刺激に心を閉ざすことで、必死に自分を守ろうとしているんだ。きっと裏山ですごく怖い体験をしたんだと思うよ」

しずか「裏山で何が起きているの…」

武「わからない。そっちのほうの捜査は警察の仕事だからね。俺たち医者は、ただ患者に向き合うことだけを考えている」

しずか「そう…。彼女、早く良くなるといいわね」

武「頑張るよ。医師として出来るだけのことをするつもりだ」

しずか「ええ、彼女まだ小学生くらいよね?ご両親も今頃どこかで心配しているはずだわ」

私はちらりと武さんを窺い見た。
武さんは私の視線に気づかず、なぜか窓の外を睨んでいた。
この606号室からは、裏山の一部を確認することが出来る。

しずか「今日はありがとう。お仕事頑張ってね」
病院の玄関まで、武さんは付いてきた。
振り返り、礼を言う。
また今度会いましょうとは、軽々しく口にできなかった。
二人とも意識して、ジャイ子ちゃんやのび太さんの話題を避けている。
武さんは、のび太さんの死刑確定をどう受け止めているのだろうか。

武「しずかちゃん!」

歩き出した私を、武さんが呼び止めた。

武「しずかちゃんのしようとしていることを、俺は止めるつもりはない。今更何をしても、ジャイ子が帰って来ることはない。だけど…」

しずか「だけど…?」

武「お願いだ。スネ夫を巻き込むことだけはやめてくれ。あいつは神経の細かい奴なんだ。もちろん奴も、しずかちゃんに協力したい気持ちはあるはずだ。だけど俺を裏切ることはしたくないとも考えている」

武「あいつは昨日、泣きながら俺に詫びてきたよ。こっちは謝られる覚えなんてなかったけど、あいつはひとり悩んで、自分を責めていた。どうかあいつの気持ちを汲んでやってくれ。お願いだしずかちゃん」

武さんが大きな頭を下げた。
そういえば事件後、武さんはのび太さんを恨むような発言をまったくしなかった。
もちろん心の中はわからない。
本当はのび太さんのことが憎くて仕方ないのかもしれない。
だけどそれを表に出さないのは、武さんが優しいからだろう。
私やスネ夫さんの中に、まだのび太さんを友人だと思う気持ちがあることを、武さんは見抜いているのだ。
幼い頃の思い出を綺麗なままにしておけるよう、武さんは私に気を遣ってくれているのかもしれない。

しずか「わかったわ。ごめんなさい」

私は武さんの視線を避けてそう言うと、足早に病院を後にした。
近くの公園に駆け込み、靴を履き替えた。
公園を出たところで、誰かの視線を感じた。
まとわりつくような、嫌な視線だった。
私は背筋に鳥肌を立て、なるべく人通りの多い道を目指した。
だが途中で何者かに肩を叩かれ、半ば強引にそちらへ顔を向かせられてしまった。

しずか「あ、あの…誰ですか?」

私を引き留めた女は、自分をフリーライターだと名乗った。

ライター「あなたロクちゃんの知り合い?」

しずか「は?」

ライター「会ったんでしょ、患者に。ロクちゃんのほうだよね?」

しずか「ロクちゃん?」

ライター「そ、606号室に入院してるからロクちゃん。彼女口が利けなくて、自分の名前すら言えないんでしょ?だからライターの間では通称ロクちゃんで通してるの」

しずか「はぁ…」

女は馴れ馴れしく喋り、表面上は笑顔だったけれど、腕はしっかりと私の肩を掴み、逃がすものかと力をこめていた。
どうやら私からロクちゃんについての情報を聞き出そうとしているらしい。

ライター「あなたはなんでロクちゃんに面会出来たの?」

しずか「あの、私のことを見張ってたんですか?」

ライター「だって待ち合い室で剛田医師と話してたの見かけたから。あたしなんていっつも門前払いよ。よく面会させてもらえたわね」

女は私を見張ってたことについて、悪びれもせずにそう言った。

しずか「残念ですけど、ロクちゃんについてお話出来ることは何もありません」

私は女を振り切って、先を進んだ。
追いかけてくるかと思ったが、女はすんなり諦めてくれた。
その代わり、今度はひどく苛ついた声を上げた。

ライター「これから裏山に行くつもりでしょ?」

しずか「はい?」

振り返ると、女はにやにやと笑って、私の足元を顎でしゃくった。

ライター「靴、履き替えてる。病院ではヒールだったのに、今はスニーカー。どうして?」

しずか「こ、これは…」

ライター「これから山を登るからだよね?やめときな。あそこに近づかないほうがいいよ」

しずか「あなたには関係ないことです」

ライター「この事件、あたしは宗教が絡んでると思ってる」

しずか「宗教?」

 

ライター「そう。あの山のどこかには、おそらく宗教施設があるのよ。保護された人物たちはみんなそこでひどい虐待を受けていた。だから精神を病み、怪我を負い、施設を逃げ出した。逃げて山中をさ迷っているところを保護された」

ライター「これがあたしの考える事件の筋書き。あたしの仲間が今、どうにかしてその施設を探し、潜入しようと準備してる。だから今、あなたに引っ掻き回して欲しくないのよね。向こうに変に警戒されたら、こっちが動きにくくなるし」

女はなぜか勝ち誇ったように言った。
私を駆け出しのライターとでも勘違いしているのだろうか。
そうだとしたら自分の見解をベラベラと話すその神経を疑ってしまう。
この女は何もわかってないなと思い、私は今からの裏山行きを断念した。
それから女との会話を思いだし、何も収穫がなかったわけではないことを、天に感謝した。

しずか「そうですか。では私はもう諦めます」

私は女の勘違い通り、ライターのふりをしてやって、そう言った。
女は満足気に頷き、どこかへ電話を掛け始めた。
私はその間に女から離れた。

アパートに戻る前に、ドンキへ寄ってロープと懐中電灯を購入した。
上司に電話を掛け、母が倒れたので数日休みを頂きたいと告げた。
それで今からの準備は整った。
私はアパートに帰り、ゆっくりと風呂に浸かった。
この風呂に入るのも今日が最後になるかもしれないと思い、湯から出るのが名残り惜しかった。
だがもう、行かなければならない。
私は夜のうちに動くつもりだった。
支度を終え、ふと誰かにメッセージを残したい気分になった。
真っ先に浮かんだのは両親の顔だったが、彼らに余計な悲しみを背負わすことを考えると、出来なかった。
私は思いきって、スネ夫さんに電話を掛けた。
最後に、昨日のことを謝ろうと思った。

だがすぐに留守電に切り替わり、結局スネ夫さんの声を聞くことは出来なかった。
そういう巡り合わせだったのだろう。
私はやはり何も残さずに行くことを決めた。
駅まで歩く途中に運良くタクシーをつかまえ、裏山近辺で降りた。
辺りを警戒しながら、裏山へ向かう。
足が震えていた。
私は馬鹿げた妄想にとりつかれているのかもしれない。
今夜が空振りに終わり、虚しくまたあのアパートに帰る自分を想像したら、少しだけ笑えた。
深夜の裏山はひんやりとした空気に包まれ、思っていた静けさはなかった。
風に揺れる木の葉の音にいちいち驚かされたが、やがてそれにも慣れた。
懐中電灯の明かりは心許なく、裏山の暗闇は深い。

しずか「どこかにきっと痕跡が残ってるはず…」

私は慎重に歩いた。
些細なことも見逃してはならないと思った。
どこかで何かの動く気配がした。
そして、あっと声を上げる間もなく、そいつは私の前に姿を現した。
野犬だ。
懐中電灯を向けると、野犬は僅かに退いた。
しかし荒い息遣いはまだ続いており、時折こちらを威嚇するような唸り声を洩らした。
生憎私には、野犬に対抗する手段がない。
私は手探りで木の枝を拾い上げ、野犬に向かいぶんぶんと振った。
野犬は怯まなかった。
地面を蹴る音と同時に、私の目の前に野犬の狂った顔が近づいた。
私は足を滑らせ、仰向けに倒れた。
野犬は私にのし掛かり、首元を狙ってきた。
持っていた懐中電灯で野犬の頭を何度も殴った。

 

スネ夫「大丈夫かい?しずかちゃん」

しずか「スネ夫さん?どうしてここに?」

私は呆然として、尋ねた。

スネ夫「へへっ、随分探したんだぜ。君から着信があって、掛け直したのに繋がらないから。昨日の君の様子から、僕は嫌な予感がしたんだ」

スネ夫「だからあちこち連絡して、ジャイアンから昼間君が病院に来たって話を聞いてさ、裏山の事件を気にしているみたいだったから、まさかと思って来てみたら、ビンゴだった。一体君はここで何をしようとしているんだい?」

しずか「ごめんなさい…」

安心したせいか、涙が出た。
ふと見ると、スネ夫さんの足が震えている。
すると今度は笑えて来て、私は泣きながら笑うという奇妙な体験をした。
スネ夫さんはおろおろと、そんな私を見下ろしていた。

しずか「私、自分が思っている以上に馬鹿なんだわ」

気持ちが落ち着くと、私は立ち上がり、服についた泥を軽くはたき落とした。

スネ夫「は?」

しずか「探そうと思ったの。時空の歪みを」

スネ夫「時空の歪み?」

しずか「ええ、裏山にあるはずだと思って。ほら昔、ドラちゃんがいた時もたまにあったじゃない。何かのきっかけで時空が歪み、タイムマシンが予期せぬ時代に到着してしまったことが」

スネ夫「ああ、それで何度か怖い思いもしたっけね」

しずか「ふふっ、懐かしい」

スネ夫「だけど、何でここにそんなものがあると思ったんだい?」

しずか「最近裏山で連続して身元不明者が保護されてるでしょう?彼らは恐ろしい体験の末、精神のバランスを崩してしまった。私はそれを、時間旅行をしたせいだと考えたの」

スネ夫「まさか!そんなことあるわけない!」

しずか「ええ、だからあくまで私の想像よ。別の時代から、いきなりこの時代に飛ばされて、彼らはパニックを起こした。彼らがみんな言ってることが滅茶苦茶で、情緒不安定だと診断されたのはそのせい」

しずか「誰だって自分のいた時代からいきなり過去、あるいは未来に飛ばされたら怖いし、不安になるでしょう。元々いた時代が違うのだから、この時代の人間と話が噛み合わないのは当たり前」

しずか「だからこの時代の人間からすると、彼らの言っていることは滅茶苦茶に聞こえる」

スネ夫「だけど君は、たったそれだけの事柄で時空の歪みの存在を想像し、ここまで来たというのかい?たったひとりで、こんな夜中に、野犬に襲われもして!いくらなんでも無謀すぎるよ」

しずか「そうね。だから私は救いようのない馬鹿なのよ。でもね、今日病院で保護された少女と面会してみて、なんとなく感じたの。私は間違ってないかもしれないって」

スネ夫さんが乾いた笑いを洩らした。

しずか「でも今晩はもう駄目ね。さっきの野犬のせいで懐中電灯が壊れてしまったわ。もう先に進めない。帰りましょう、スネ夫さん」

スネ夫さんは明かりをちゃんと持っていた。
私はそれを頼りに、一緒に下山することにした。
だがスネ夫さんは私の言葉を無視して、帰り道とは反対の方角を照らした。

しずか「スネ夫さん?」

スネ夫「し、仕方ないな。乗り掛かった船だ。僕も一緒に探してやるよ」

しずか「え?」

スネ夫「君の考えていることはわかるよ。時空の歪みを利用して、ドラえもんに会いに行くつもりだろう。僕はこれ以上手を貸さない。だけど久しぶりにドラえもんに会うのも悪くないかなとも思うんだ」

スネ夫さんが、にやりと笑った気がした。
私の心は久しぶりに温かさを感じていた。

しずか「ありがとう、スネ夫さん」

それから私たちは、じりじりと山道を登った。

スネ夫「闇雲に探すのは良くない。のび太の机の引き出しがそうだったように、時空間への扉の代用になりそうな物がないか探すんだ」

スネ夫「なあにこんな山の中だ、物は限られている。例えば不法投棄された冷蔵庫の中、木の裂け目、そういったものが時空間への扉の役目を果たしているかもしれない」

しずか「そうね、私ったら勝手に時空の歪みがぽんと空中に浮かんでいる様を想像してたわ」

スネ夫「そんなものあったら、とっくに警察が見つけて大騒ぎになってるよ」

私達はそれから、扉の代用となりそうなものを探し歩いた。
だが次第に山道は寂しくなり、登り始めて最初の頃はよく目についていた不法投棄物や誰かが食べ捨てた食品のパック、空き缶などが見当たらなくなってきた。
鬱蒼とした木々だけが広がる空間。
やはり私の考えは、ただの妄想に過ぎなかったのか。
諦めかけたその時、スネ夫さんが高い声を上げた。

スネ夫「あれをご覧よ、しずかちゃん」

スネ夫さんが指差したのは、小さな祠だった。
中が薄ぼんやりと発光している。

スネ夫「ははっ…まさか本当にあるなんて」

しずか「あれが時空の歪み…」

私は背負っていたリュックを地面に下ろし、中からロープを取り出した。

スネ夫「な、何するんだい?」

しずか「決まってるじゃない。中に入るのよ」

ロープの端を木に縛り付けた。

しずか「昔みたいにタイムマシンに乗ることは出来ない。時空間に体ひとつで入ることになる。このロープはきちんとこの時代に帰ってくるための策よ」

しずか「途中で千切れるかもしれないし、何より長さが足りないかもしれない。だけど何もないよりは安心出来ると思ったの」

スネ夫「しずかちゃんはこのロープを辿って帰るつもりなんだね」

しずか「ええ。ありがとうスネ夫さん、ここまでで充分よ。後はわたしひとりで行くわ」

スネ夫「そんな!君ひとりで?行かせられないよ。ぼ、僕を見くびるな!もう昔の、弱虫で怖がりの僕じゃない!どんな危険があろうと、僕は君と一緒に行くよ」

しずか「スネ夫さん…」

スネ夫「君に昨日言われて、目が覚めたんだ。僕はやっぱりのび太の無実を信じたい。そのための過程で例えジャイアンを傷つけることになったとしても、妹を殺した犯人が幼馴染みでしたなんて結末よりはジャイアンも救われるはずだ」

スネ夫「そうだよ、これはのび太だけを救うためのものじゃない。何よりジャイアンを救うための、僕としずかちゃんの冒険なんだ!」

スネ夫さんの目は、いつからか少年の頃のそれに戻っていた。
希望に胸を膨らませ、明日が今日よりも楽しくなると信じて疑わなかったあの頃。

しずか「わかったわ、一緒に行きましょう」

私達はロープの端を握り、祠の先、時空の歪みへと飛び込んだ。
時空間の中は、子供の頃となんら変わっていなかった。
暑くも寒くもなく、ふわふわとしていてちょっと心細い。
この中では風向きがそのまま時間の流れを表している。
ドラちゃんのいる未来へ行くためには、風に逆らって進むのだ。

スネ夫「ドラえもん…ドラえもん…」

スネ夫さんはぶつぶつと呟きながら歩いていた。
ロープはすぐに長さがいっぱいになり、この先へ進めば、帰り道を失う可能性も考えられた。
つまり、元の時代には帰れなくなるかもしれないのだ。

しずか「いい?スネ夫さん。ロープはここで終わり。私達を現代に繋ぎ止めてくれているものを、私は今から手放すわ」

私はスネ夫さんに宣言した。
スネ夫さんはなぜか私を無視して、私の頭上辺りをぼんやりと眺めていた。

しずか「え?」

視線をやると、そこに白い機体が浮いていた。

しずか「タイム…パトロール隊…」

私達は、タイムパトロール隊に保護された。
調書を取られ、犯罪が絡んでいないと判断された後、きつく注意を受けた。

しずか「すみません、一般人の時間旅行が禁止されるようになったなんて知らなくて」

私とスネ夫さんは揃って頭を下げた。
私達は無謀な旅行者という立ち位置にいるらしい。
身元引き受け人を誰にするかと訊かれ、ドラちゃんの名前と時代を告げると、数時間後に別の小さな部屋と通された。

スネ夫「ドラえもん、ちゃんと来てくれるかな」

しずか「大丈夫よ」

そうして入り口から、あの懐かしいシルエットが現れた。

ドラ「やあやあ待たせたね」

久しぶりの再会だというのに、ドラちゃんはまるであの頃のまま、集合場所だった空き地に遅れてきたかのような口振りで、話しかけてきた。
だけど近くで見ると、少しだけボディに傷がついていたり、塗装がはげていたりもして、私は過ぎた歳月を思った。

しずか「ごめんなさいドラちゃん、私達どうしてもまたドラちゃんに会いたくて」

スネ夫「ド、ドラえも~ん」

スネ夫さんは子供みたいに、ドラちゃんの体に抱きついた。
その横で、タイムパトロール隊員が事務的に、今後のことを説明する。
私達が元居た時代に帰るには、特別時間旅行許可の申請をしなければならず、手続きに少し時間がかかるらしい。
その間だけ、ドラちゃんの元に滞在する猶予が与えられた。
そうして私たちは昔話をする間もなく、タイムパトロール隊によってドラちゃんの生活する時代に送り届けられた。
ドラちゃんは一言も、のび太さんについて尋ねてこなかった。
きっともう知っているのだろう。

ドラ「ここが僕の家さ」

ドラちゃんの自宅は、この時代では中流家庭に分類されているらしい、マンションのひとつだった。

しずか「セワシさんの家じゃないの?」

ドラ「どうも数日前から事情が変わってね、今はセワシくんが生まれなかったという時間の流れになってるんだよ」

スネ夫「え?どういうこと?」

ドラ「のび太くんは子孫を残さなかった。その流れで出来た未来が今なんだよ。僕はロボットだから時代の変化に鈍感だけど、あと数日もすればセワシくんやのび太くんと一緒に暮らしていた時の記憶もなくなるだろう」

ドラ「正確には記憶が書き変わるんだ。しずかちゃんやスネ夫くんのことも忘れてしまう」

スネ夫「そんなぁ…」

しずか「じゃあ私達は間一髪だったのね」

ドラ「ああ、君たちを忘れる前に再会出来て良かった」

しずか「例えば後々の未来に影響を与える出来事が今起きたとして、その通りに時代の流れが変化してしまうまで、タイムラグはあるの?」

ドラ「それらはすべてタイムパトロール隊本部が管理してる。今ある未来を大きく変化させる出来事が起きた場合、その通りに時代を変化させていいか、修正が必要か、判断を下すにはそれなりの時間がかかる」

ドラ「起きた出来事の大小によって、判断にかかる時間も違う。いずれにせよ、何かが起きた後すぐに未来が変化するわけではないから、タイムラグはあるね」

しずか「良かった」

どうやら私にはまだ少し、時間が残されているようだ。

ドラ「だけどセワシくんは消えた。つまりこれは今まであった時間の流れを変化させるであろう出来事が、確定的になった証拠だ。セワシくんに影響を与えられるのは、先祖であるのび太くんしかいない。ねえ、のび太くんは本当に死刑になってしまうのかい?」

しずか「そうね、このままだと…」

スネ夫「ドラえもん、なんとかしてくれよ」

ドラ「残念だけど、時間旅行が禁止された今、僕は過去へ行くことが出来ない。力にはなれないよ」

ドラちゃんは心底悔しそうに言った。

ドラ「セワシくんという存在がいなくなった今、僕が過去――君たちの子供時代――に送られたという事実もなくなる。子供の頃の君たちとは出会わなかったことになる。君たちの記憶は書き変わり、僕のことをすっかり忘れてしまう」

ドラ「なんだか切ないなぁ。もう一度だけでいい、最後にのび太くんに会いたかったよ…」

しずか「そんな!諦めるのは早いわ、ドラちゃん。なんとかしてのび太さんの無実を証明しましょう。そうすればまたセワシさんがあなたとのび太さんを出会わせたという、本来の時間の流れを取り戻せるわ」

ドラ「無実?のび太くんは本当に無実なのかい?」

しずか「ええ、そうよ。もちろんじゃない!」

ドラ「そうかおかしいと思ったんだ、あの弱虫ののび太くんに人なんて殺せるわけない」

しずか「ふふっ…大人になったのび太さんはもう弱虫なんかじゃなかったわよ。ドラちゃんだってのび太さんの高校時代を見てきたじゃない」

スネ夫「のび太、立派だったよな」

ドラ「いけないいけない、僕の中ではいつまでもジャイアンに苛められて泣きついてくる、子供ののび太くんの印象が強くて」

ドラちゃんはまあるい手で頭をかいた。
それから急に真顔になり、真っ直ぐ私を見つめた。

ドラ「しずかちゃん、なぜ君はのび太くんに別れを告げたんだい?」

ドラちゃんに会った時から、私はいつかその質問をされるだろうと予想していた。

スネ夫「えぇっ?しずかちゃん、のび太と付き合ってたの?」

しずか「ええ、高校の時にね」

スネ夫「へぇ、驚いた」

私とのび太さんの交際が始まったのは、高校の合格発表の後だった。
それから三年間、たまに喧嘩はしたけれど、仲良くやってきた。
のび太さんは背が伸び、メガネからコンタクトに変えて、すっかりおしゃれになっていた。
おまけに猛勉強のかいあり、高校は地元でも有名な進学校。
弱気だった性格は、彼を人の痛みがわかる優しく落ち着いた人物へと変化させていた。

当然、のび太さんは様々な女の子から声を掛けられることが多くなった。
のび太さんといる時、私はとても誇らしい気持ちでいっぱいだった。
素敵なのび太さんに選ばれた自分。
私は自分を特別な女の子だと思い込んでいた。
だけど交際が進むにつれ、私は気づいた。
特別なのはのび太さんであって、私はまったく素晴らしい人間でない。
彼は努力家で、しかもその努力をきちんと結果に結びつけているのに、一方私は頑張ってもいまいちパッとしない。
私はのび太さんにつり合わない。
すると今度は、彼と一緒にいることを苦痛に感じ始めた。
彼といると、自分がちっぽけな人間に思えて、たまらなく惨めだった。
悩んだ挙げ句、この辛い現実から目を反らすため、私は彼に別れを告げることを決めた。
それはドラちゃんが未来に帰り、落ち込んでいるのび太さんに、追い討ちをかけるような行為だったが、あの時の私には彼を思いやる余裕などなく、ただただ自分が楽になることだけを考えていた。

 

しずか「ごめんなさいドラちゃん。私はのび太さんから逃げたのよ。彼は何一つ悪くない。悪いのは馬鹿で身勝手な私なのよ」

ドラ「のび太くんはだいぶ前から、しずかちゃんの心の変化に気づいていたみたいだったよ」

しずか「え?」

ドラ「自分といると、しずかちゃんはどこか無理してるみたいだって、いつだったか言ってたな。しずかちゃんの幸せを考えたら、自分は身を引いたほうがいいんじゃないかって」

しずか「そんな…嘘よ…」

ドラ「だけど結局のび太くんは君に別れを告げられなかった。君のことが大好きだったから、離れたくなかったんだ」

しずか「ごめんなさい…ごめんなさい…」

ドラ「しずかちゃん、君はまだのび太くんのことが好きなんだね?だから危険を承知で僕に会いに来てくれたんだろう?」

しずか「ええ…好きよ。だから今度こそ、私は逃げないと決めたの。自分で道を切り開き、いつかちゃんとのび太さんに会って、あの時のことを謝ろうと、心に誓ったのよ!」

ドラ「ありがとうしずかちゃん。僕は嬉しいよ。のび太くんが君にそこまで想ってもらえる男になったんだって知って、すごく嬉しいんだよ…あれ?おかしいな…目からオイルが漏れてきたみたいだ」

スネ夫「ロボットのくせに、まったくドラえもんは涙脆いなあ」

ドラ「えへへ」

それから私とスネ夫さんは、事件について知っていることをすべてドラちゃんに話して聞かせた。

しずか「逮捕の一番の決め手となったのは、宅配寿司店のスタッフの証言だったの」

スネ夫「それからのび太の自白だね」

現場は都内の高層マンションの一室。
被害者は武さんの妹、ジャイ子ちゃんで、マンションは彼女が契約しているものだった。
漫画家としての大成功をおさめていたジャイ子ちゃん。
その作品は過激で不謹慎な内容のものが多く、スリルを求める十代の子達を中心に熱狂的な支持を集めていた。
何度もアニメ化、実写化がなされ、ジャイ子ちゃんを神と崇める信者まで現れた。
そんなジャイ子ちゃんの、突然の死。
彼女のファンが、あまりのショックから集団自殺未遂を謀り、この事件は世間からの注目を集めた。

 

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