【泣ける話まとめ】絶対に泣ける話を本気で厳選した。

 

泣ける話を読んで思いっきり涙を流したい。

 

この期待に応えます。

 

こんな方におすすめ!

  • 子供の泣ける話をみたい
  • 犬の泣ける話を探している
  • 恋愛の泣ける話を読みたい
  • 家族の泣ける話を知りたい

 

今回は、いろんな泣ける話をまとめました。

絶対に泣ける話を短編から長編まで、ジャンル別に用意しました。

朝の電車で、寝る前のベットで、帰り道で、

いつでも泣ける話を自信を持って選んだので、

これらの泣ける話で泣いてください!

 

 

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恋愛の泣ける話

幸せでした

24歳のとき、私は、人生のどん底にいました

 

6年付き合って婚約までした彼には、
私の高校時代の友人と駆け落ちされ、
父親が死に後を追うように、母も自殺

 

葬式やらなんやらで会社を休んでいる間に、
私の仕事は後輩に回り、残された仕事はお茶汲みと資料整理

 

そしてついに彼に逃げられたことが会社に広まり、
私は笑い者でした

 

もういっそ死んでしまおう
そう思ってからは早かった

 

アパートに帰り、元彼のネクタイで首吊りようの縄を作り
人生が嫌になったので自殺しますと遺書を残し首に縄をかけました

 

あぁ、終わる
私の人生はなんだったんだろう

 

でも、立っていた椅子を倒そうとしたときでした

 

ガチャッ

 

アパートの扉が開き、知らない男の人と目が合いました
その時の私は相当間抜けだったとおもいます

 

でも、その男の人も間抜けな顔をしてこの状況に困惑していました
「お、降りてください!!」
でもすぐにその人は靴も脱がずに部屋に上がってきました

 

私を抱き上げ縄を外すと私をジッと見つめました
「部屋を間違いました」
それだけ言うとその人は静かに部屋から出て行きました

 

私は突然のことに脱力し、そのまま眠りにつきました

 

次の日いつも通りに仕事に行き、いつも通りに雑用を任され、
いつも通りの時間が過ぎていきました
ですが、いつも通りではないことが一つ

 

私の部屋の前に、誰か立っているのです
それが誰なのかはすぐに分かりました

 

その人は私を見ると軽く頭を下げて私の元にも歩いてきました

 

「昨日はすいませんでした、
僕の部屋はあなたの上の階なのですが、昨日は酔っていて
なにかお詫びがしたいです、お暇ですか?」
その人は優しく素直な人でした

 

私と同い年だったこともあり、
いくつかの飲み屋をはしごするうちに打ち解けていきました
初対面のはずが、会話が途切れないのです

 

5軒目を出たときには、
2人とも真っ赤な顔をしてフラフラしていました

 

駅前のベンチに2人で座り、また他愛もないことを話しだします
「君といると楽しいよ」
「私も楽しい」
「だから、死なないで」
彼の声は真剣でした

 

色々な話をしましたが、私が自殺しようとしたことについて
彼が何か言ったのはこれが初めてでした

 

「もう分からない、私が生きている意味も、
何のために生きていけばいいのかも」

 

婚約者のこと、両親のこと、会社のこと
私が話している間、彼は黙って聞いていました

 

私が涙で言葉を詰まらせると、彼は優しく背中を撫でてくれました
「なら、僕のために生きてください
僕はあなたのために生きていきます」

 

今考えてると、こんなことを言ってしまう彼も、
大泣きしながら頷いた私も、酔っていたのです

 

普通なら、初対面の女にこんなことは言わないし、
私だって初対面の男の言葉を信じるはずがありません
でも彼は、私を幸せにしてくれました

 

どちらも一人暮らしだったため、
夕飯はどちらかの部屋で食べるようになりました
私は料理が得意ではありませんでしたが、彼の料理は絶品でした

 

そして半年が経ち、私の誕生日がやってきました

 

仕事から帰ると、
あの日のように彼が部屋の前に立っているのです

 

「おめでとう、一足先におばさんだね」
彼はそう笑いながら、大きな花束をくれました

 

その日を境に、正式に付き合い始めました
私の部屋を解約して、彼の部屋で一緒に暮らし始め、
私は彼に甘えて仕事を辞めました

 

それからは、掃除と洗濯と料理、
毎朝の彼のお弁当作りが私の仕事になりました

 

そしてまたその半年後、
仕事から帰ってきた彼が100点の答案用紙を見せるようなキラキラした目で

 

「貰ってきちゃった」
と、婚姻届を私に見せてきました

 

一週間後には、彼のご両親に、挨拶に行きました

 

お義母さんもお義父さんも、とてもいい人たちでした

結婚の挨拶に行くと、彼から聞いていたのか、
色々大変だったわねと涙を流してくれ、
息子をお願いしますと深々と頭を下げられました

 

本当に暖かく、私を娘のように可愛がってくれました

 

新しい両親ができ、幸せになれた

 

私は婚姻届にサインしながら彼に聞きました
「私もあなたを幸せにしたい
あなたの為ならなんでもするから、なにか恩返しをさせて?」

 

彼は少し考えたあと、優しく笑いながら言いました

 

「僕より先に死なないで」

 

結婚式は挙げませんでした
相変わらずずっと狭いアパートで二人暮らしです

 

私は子供が出来ませんでした
私は彼にも、両親にも子供の顔を見せることが出来ず、悔しかった

 

しかし、誰も私を責めませんでした

 

私はいつのまにか、優しい人に囲まれていました

 

幸せで、本当に幸せで、
気がつくと、彼と出会って10年が経っていました

 

私はだめな嫁でした
上達しない料理とお弁当を毎日食べさせ
結局子供も出来ず、彼に甘えてばかりでした

 

しかし彼は、私の料理を残さず食べてくれ、
いつもありがとうと言ってくれました
誕生日の花束も忘れたときはありません

 

私を気遣い、休日は彼が家事をしてくれました
私は幸せでした

 

 

私は今、病院のベッドの上にいます
先月癌が見つかりましたが、発見が遅く、
良くて1年だろうと言われました

 

彼は毎日見舞いに来て、私の手を握ってくれます
一度死のうとした私への罰でしょうか
まだまだ彼といたいのに、
私は彼より先に死んでしまうのです

 

幸せにしたいと言ったのに、
そんな簡単な約束も守れないのです
本当に私はだめな嫁ですね

 

優しい彼を毎日泣かせてしまうなんて
長々とすいませんでした

 

休み休み書いていたら、こんなに長くなってしまいました
最後にもう少しだけ

 

さくらです
優、あなたに出会えて、あなたの家族になれて幸せです
私を見つけてくれてありがとう

 

優の優しさが、私を救ってくれました
約束、守れなくてごめんなさい

 

先に向こうで待ってるね
優はおじいちゃんになってから、来てください

 

愛しています
いつかあなたの元に届くことを祈って

 

死後の手紙

嫁が激しい闘病生活の末、若くして亡くなって五年後、
こんな手紙が届いた。

 

どうやら死期が迫ったころ、未来の俺に向けて書いたものみたいだ。

 

—以下全文—

 

Dear 未来の○○

 

元気ですか?大好きな仕事はうまくいってますか?
きっと○○だもん、今ごろ凄い出世してるんだろうなあ。
嬉しいぞ。

 

早速だけど、私はもう長くないみたい。
仕事柄、なんとなく自分の体のことはわかるんだあ。
薬もだいぶ変わったしね。

 

だから、○○に最後の手紙を書くことにしました。

 

もう今頃新しいかわいい奥さんが出来てるかな? (笑)

 

いいんだよ、私に遠慮しないで幸せになってよ。
○○は誰かを幸せにできる才能を持ってる。
その才能を持った責任を負わなきゃいけないんだ。

 

○○が幸せになるところ、きちんと見守ってるからね。
私は大丈夫。向こうでイケメン見つけて恋するもんね! (笑)

 

そして○○は沢山子供を作ってステキな家庭を作るの。
○○の子供だもん、きっとかわいいんだろうなあ~

 

私生まれ変われたら○○の子供になっちゃおうかな (笑)

 

生まれ変わりの順番待ちがあったら割り込んじゃうもんね!
おばさん発想だな。

 

でもね、一つだけお願いがあります。

 

どうか私のことを忘れないで。
どんなに幸せになっても、一年に何回かでいいから思い出して。

 

私はもうお父さんもお母さんもいないから、、
○○が忘れたらもうこの世界に私はいなくなっちゃう。
それだけが怖いんだ。

 

何回かというのはね、

 

 

付き合い始めた日、幕張のレストランに海。

 

一緒に行った夏の北海道、
あの時くれたネックレスはずっと今でもつけてるよ。
お棺にいれないでね、○○が持ってて。

 

○○が初めて試合でレギュラーになった日、関係ないとは思いきや、
実は私が初めてお弁当を作った日だったのだ笑
卵焼き辛くて悪かったな

 

結婚記念日は○○酔いつぶれてたし、いいや (笑)

 

そして私の命日。
多分○○のことを思いながら幸せに眠るんだろな。

 

この四つが私の思い出ランキングトップです!
だから年四回でいいから思い出してね。お願いね。

 

○○が思い出してくれるとき、
きっと私はその瞬間だけこの世界に生き返れるんだ。

 

最後までわがままだね (笑) ごめんなさい。

 

未来に向けて書くつもりが、
なんかよくわかんなくなっちゃった。

 

だって○○の未来は輝いてて、眩しくて、全然見えませんよ!

 

さて、レントゲンに呼ばれたのでこれで終わりにします。
時間かけて書くと長くなりそうなので、
思いつきで書いたこの手紙で一発終了。

 

○○、今までありがとう。
悲しい思いをしてしまったらごめんなさい。

 

あなたと過ごした私の人生、あなたと作った私の人生。
幸せ過ぎてお腹いっぱいです。もう悔いはないよ。

 

○○の幸せをずっとずっと見守ってます。

 

未来の○○の笑顔を思いながら

 

△△より

 

ps.ご飯はちゃんと食べるんだよ

 

———-

 

最後まで注文ばっかだな全く
オレはまだ一人だよ
でも幸せだ この手紙をみて改めて実感した
オレ頑張るから、ずっと見ていてくれよ

 

ありがとう

 

強い娘

7ヶ月前に妻が他界して初めての、
娘の4歳の誕生日。

 

今日は休みを取って
朝から娘と二人妻の墓参りに出かけてきた。

 

妻の死後しばらくはあんなに

 

「ままにあいたい」
「ままかえってこないの」

 

と毎日泣いていた娘が、
先週あたりからぱったりと泣かなくなった。

 

さっき墓前で

 

「4歳になったからね、
もうおねえさんだから泣かないよ、
ばあばと約束したんだ」

 

と私に打ち明けてくれた。

 

そして、
小高い丘の上にある墓地から空に向かって

 

「ままーっ!いつでも帰ってきてねぇ!!」
と叫んだ。

 

けなげな姿が涙でゆがんだ。

 

いま、
隣で昼寝している娘の寝顔を見ながらパソコンにむかっている。

 

もともとここをのぞいていたのは
妻のほうで、
入院中によくみていたようだ。

 

「私も何か書き込もうかな」

 

そう笑っていた数日後に亡くなった。

 

それから、
半年以上が過ぎ、
今日ふとここを思い出したのだ。

 

妻よ、
きみと俺の愛する娘は今日4歳になったよ。

 

日々とても愛らしい子どもに成長している。

 

 

だから心配しないで見守っていて欲しい。

 

突然フラれた

付き合って3年の彼女に唐突に振られた。

 

「他に好きな男が出来たんだー、じゃーねー」

 

就職して2年、
そろそろ結婚とかも真剣に考えてたっつーのに、
目の前が真っ暗になった。

 

俺は本当に彼女が好きだったし、勿論浮気もしたことないし、
そりゃ俺は格別イイ男って訳じゃなかったけど、
彼女の事は本当に大事にしてたつもりだった。

 

なのに、すっげーあっさりスッパリやられた。

 

どーにもこーにも収まりつかなくて、電話するも着信拒否、
家行ってもいつも留守、バイト先も辞めてた。

 

徹底的に避けられた。

 

もーショックですげー荒れた。仕事に打ち込みまくった。

 

それから半年、お陰で同期の中でダントツの出世頭になってた。

 

彼女の事も、少しずつ忘れ始めてた、そんなある日。
携帯に知らない番号から電話がかかってきた。

 

最初は悪戯とかだと思って無視ってたんだけど、何回もかかってくる。
仕方ないから出た。

 

別れた彼女の妹を名乗る女からだった。
その女が俺に言った。

 

「お姉ちゃんに会いに来てくれませんか?」

・・・彼女は白血病にかかっていて、入院していた。
ドナーがやっと見つかったものの、状態は非常に悪く、
手術をしても助かる確率は五分五分だという。
入院したのは俺と別れた直後だった。

 

俺は、病院へ駆けつけた。
無菌室にいる彼女をガラス越しに見た瞬間、
俺は周りの目を忘れて怒鳴った。

 

「お前、何勝手な真似してんだよっ!俺はそんなに頼りないかよっ!!」

 

彼女は俺の姿を見て、しばらく呆然としていた。
どうして俺がここに居るのかわからない、という顔だった。
その姿は本当に小さくて、今にも消えてしまいそうだった。

 

でもすぐに、彼女はハッと我に返った顔になり、
険しい顔でそっぽを向いた。

 

俺は、その場に泣き崩れた。堪らなかった、
この期に及んでまだ意地をはる彼女の心が。

 

愛しくて、悲しくて、涙が止まらなかった。

 

その日から手術までの2週間、俺は毎日病院に通った。
けれど、彼女は変わらず頑なに俺を拒絶し続けた。
そして手術の日。俺は会社を休んで病院に居た。
俺が病院に着いた時にはもう彼女は手術室の中だった。

 

手術は無事成功。けれど、安心は出来なかった。

 

抗生物質を飲み、
経過を慎重に見なくてはならないと医者が言った。

 

俺は手術後も毎日病院に通った。
彼女は、ゆっくりではあるけれど、回復していった。

 

そして彼女は、相変わらず俺の顔も見ようとしなかった。

 

ようやく退院出来る日が来た。
定期的に検査の為、通院しなくてはならないし、
薬は飲まなくてはならないけれど、
日常生活を送れるまでに彼女は回復した。

 

俺は当然、彼女に会いに行った。お祝いの花束と贈り物を持って。

 

「退院、おめでとう」

 

そう言って、花束を手渡した。彼女は無言で受け取ってくれた。
俺はポケットから小さい箱を取り出して中身を見せた。

 

俗に言う給料の3ヶ月分ってヤツ。

 

「これももらって欲しいんだけど。俺、本気だから」

 

そう言ったら、彼女は凄く驚いた顔をしてから、俯いた。

 

「馬鹿じゃないの」
彼女の肩が震えていた。

 

「うん、俺馬鹿だよ。お前がどんな思いしてたかなんて全然知らなかった。
本当にごめん」

 

「私、これから先だってどうなるかわからないんだよ?」

 

「知ってる。色々これでも勉強したから。
で、どうかな?俺の嫁さんになってくれる?」

 

彼女は顔を上げて、涙いっぱいの目で俺を見た。

 

「ありがとう」

 

俺は彼女を抱きしめて、一緒に泣いた。

 

ウチの親には反対されたけど、俺は彼女と結婚した。

 

それから2年。

 

あまり体は強くないけれど、
気は人一倍強い嫁さんの尻に敷かれてる俺がいる。

 

子供もいつか授かればいいな、
という感じで無理せず暢気に構えてる。

 

 

——後日談——-

 

嫁さんのお腹に新しい命が宿ってるってわかった。
「子供は授かりものだから、無理しないでのんびり構えとこう」
とか言ってたけど、正直諦め気味だった。

 

まだ豆粒みたいなもんなんだろうけど、俺と嫁さんの子供が嫁さんのお腹の中にいる。

 

そう思っただけで、何か訳の分からない熱いものが胸の奥からこみ上げてきて、泣いた。
嫁さんも泣いてた。
実家に電話したら、結婚の時あんだけ反対してたウチの親まで泣き出した。
「良かったなぁ、良かったなぁ。神様はちゃんとおるんやなぁ」
って。

 

嫁さんの親御さんは
「ありがとう、ありがとう」
って泣いてた。皆で泣きまくり。

 

嫁さんは身体があんまり丈夫じゃないから、産まれるまで色々大変だろうけど、
俺は死ぬ気で嫁さんと子供を守り抜く。
誰よりも強いお父さんになってやる。

 

でも、今だけはカッコ悪く泣かせて欲しい。

 

暗証番号

元号が昭和から平成に
変わろうとしてた頃の話です。

 

当時私は二十代半ば、
彼女も同じ年でした。

 

付き合おうかどうかという時期に
彼女から私に涙ながらに電話・・・

 

「結婚は出来ない体だから付き合えない・・・」

 

夜中でしたが気になるので
彼女に会いにいきました。

 

そして彼女から

 

「一度乳癌の手術をしているから・・・
片胸が無いの・・・私」

 

私「・・・でも、・・・それは僕にとっては結婚出来ないという条件ではないよ・・・」と、

 

私も彼女が好きでしたし
実際片腕片足が無くとも
好きな人は好きになる性格でしたから。

 

そうこうしている内にお互いが
一緒に住むようになりました。

 

が、幸せ気分も束の間で、
彼女の肺に転移しているかも知れないという
検査の連絡が入ってしまいました。

 

急遽入院で、
後は検査の連続で
(肺への内視鏡検査はつらかったそうです)
二週間が過ぎた頃です。

 

見舞い時間が過ぎて帰りがけに彼女が
「左の足が少し引きずって歩いているみたい」
というので、

 

「症状を先生に話してみるね」
といって帰りました。

 

次の日、先生に報告すると、
「・・・明日、頭を検査」と、

 

・・・私は当時何もしらない馬鹿者でしたが
「足」→「頭の検査」でびっくりしたのを忘れられません。

 

検査した夜、
CTスキャンの結果を聞きに
行かなくてはならなかったのですが、

 

彼女には
「大丈夫だよ、大した事無いって」と
いいながら震えながら病院の応接室に入って行きました。

 

先生は若い方で
私達を真剣に励ましてくれる方でした。

 

その先生も現状が悔しかったらしく
第一声が
「どうしようも・・・」と、

 

少し涙を浮かべながら話してくれました。

 

やはり脳内にも転移していたんですが
「癌細胞の成長が早くて
周りの脳を圧迫しながら進んでいる、
摘出したいが周りが柔らかくなっているので、
今の医学では不可能なんだ・・・」

 

私はもうぼろぼろに泣いていましたが勇気を出して

 

「どれくらい持ちますか?」と、
聞きました。

入院はしているものの
彼女はとても元気で
見るだけでは病人とは思えなかったのですが、

 

先生いわく
「何もしなければ2ヶ月、
延命処置を取れば半年だろう」
とおっしゃいました。

 

涙ながらにです。

 

私「治療しても半年??」

 

先生「治療とは言えない、延命処置だ・・」

 

その方法とは放射線治療の事で、
激しい嘔吐や脱毛、
目まいを伴うものです。

 

私は考えました。

 

考えましたがとてもその場では
判断出来る物ではありません。

 

せめて余命2年とかであれば
抜けた髪も生え揃うであろう。

 

でも、半年なんて。

 

次の日、
先生に外泊許可を得て自宅に帰る二人が居ました。

 

その夜、彼女のほうから
「検査の結果、聞かせて・・・うそは無しで・・・」
と、言われ、

 

私は言葉に詰りそうになりながらも彼女を信じ、
正直にすべてを伝えました。
この瞬間が今までの人生で(未だに)辛かった時です。

 

言葉は省略させて頂きますが、
二人ともぼろぼろに泣きながら、
でも、
特に彼女は強く理解して残された人生をどう生きるか、
決断をしました。

 

「退院して、少しでも楽しもう!」

 

翌々日、病院に帰り、
先生に二人の考えを伝えたところ、

 

「頑張れよ!負けるなよ!」と
励ましていただき2日後に退院しました。

 

その後すぐに旅行社に行き、
新婚旅行の手配と、
「結婚しました」の葉書を作り、
友人一同に送り、

 

(彼女が病気だとは誰一人知らない)
みんなで祝ってもらいました。

 

余命2ヶ月と言われながらも
彼女は本当に頑張り、
退院4ヶ月後の「花の博覧会」にも

 

(車椅子生活になりはしましたが)

 

行く事が出来、喜んでくれました。

 

しかし、病気は確実に進行し、
まもなく自宅療養が不可能な状態になり、
再入院、
雨の降りしきるある晩に意識不明になり、
翌朝私の腕枕の中で帰らぬ人となりました。

 

恥ずかしいながら、
15年近くたった今、
「彼女のすべての強さ」に、
私は追いつくことが出来て居ません。

 

前置きが長すぎるんですが、
二人同居を始めた頃に
銀行の口座の暗証番号やら
もろもろの番号を統一しようと、

 

二人の誕生日をたした「○△◇■」を
決めて生活していたんですが、

 

彼女が亡くなってしまって、
暫らくした頃に、
公的な機関への書類提出で、
死亡診断書が必要になり、
病院で2通取ったんです。

 

で、内1通がなぜか開封状態で
手元に来たもので、見てしまったんです。

 

死亡原因、病名云々のなかに眼に留まった

 

死亡時刻、平成*年*月*日 ○△:◇■分・・・・・・・・

二人で決めた暗証番号が並んでいました。

 

きっと本当の偶然でしょうけれども、
私は「忘れないでね!」と、
彼女が言ってると今でも思っています。

 

勿論死ぬまで忘れる事は無いでしょう。

 

【面白い話まとめ】絶対笑える面白い話の傑作集を厳選まとめ。【2020年版】

3月 11, 2020

 

子供の泣ける話

手紙

4歳になる娘が、字を教えてほしいといってきたので、どうせすぐ飽きるだろうと思いつつも、毎晩教えていた。

ある日、娘の通っている保育園の先生から電話があった。

「○○ちゃんから、神様に手紙を届けてほしいって言われたんです」

こっそりと中を読んでみたら、

「いいこにするので、ぱぱをかえしてください。おねがいします」

と書いてあったそうだ。

旦那は去年、交通事故で他界した。

字を覚えたかったのは、神様に手紙を書くためだったんだ・・・

受話器を持ったまま、私も先生も泣いてしまった。

「もう少ししたら、パパ戻って来るんだよ~」

最近、娘が明るい声を出す意味がこれでやっとつながった。

娘の心と、写真にしか残っていない旦那を思って涙が止まらない。

 

サンタさんへ

6歳の娘がクリスマスの数日前から欲しいものを手紙に書いて窓際に置いてお いたから、早速何が欲しいのかなぁと夫とキティちゃんの便箋を破らないようにして手紙を覗いてみたら、こう書いてあった。

「サンタさんへ おとうさんのガンがなおるくすりをください! おねがいします」

夫と顔を見合わせて苦笑いしたけれど、私だんだん悲しくなって少しメソメソしてしちゃったよw

昨日の夜、娘が眠ったあと、夫は娘が好きなプリキュアのキャラクター人形と「ガンがなおるおくすり」と普通の粉薬の袋に書いたものを置いておいた。

朝、娘が起きるとプリキュアの人形もだけれど、それ以上に薬を喜んで「ギャーっ!」って嬉しい叫びを上げてた。

早速朝食を食べる夫の元にどたばたと行って

「ねえ! サンタさんからお父さんのガンが治る薬貰ったの! 早く飲んでみて!」

っていって、夫に薬を飲ませた。

夫が「お! 体の調子が、だんだんと良くなってきたみたいだ」と言うと

娘が、「ああ! 良かった~。これでお父さんとまた、山にハイキングに行ったり、動物園に行ったり、運動会に参加したりできるね~」

……っていうと夫がだんだんと顔を悲しく歪めて、それから声を押し殺すようにして

「ぐっ、ぐうっ」って泣き始めた。

私も貰い泣きしそうになったけれど、なんとか泣かないように鍋の味噌汁をオタマで掬って無理やり飲み込んで態勢を整えた。

夫は娘には「薬の効き目で涙が出てるんだ」と言い訳をしてた。

その後、娘が近所の子の家にプリキュアの人形を持って遊びに行った後、夫が「来年はお前がサンタさんだな……。しっかり頼むぞ」と言ったので、つい私の涙腺が緩んで、わあわあ泣き続けた。

お椀の味噌汁に涙がいくつも混ざった。

 

お願い

嫁が長女をこっぴどく叱っていた。

私「キョーコがなにかしたのか?」

嫁「私のクルマを釘みたいなもんでひっかいとるとよ!」

私「なんでそんなことしたん?」と聞くが長女は答えない。

気になってクルマを確認しに行った。

懐中電灯に照らされて浮かび上がったそれを見て言葉が詰まった。

覚えたばかりのひらがなで

『おかさん そだてくえて あいがとお いつもくるまにきおつけて』

と書いてあった。

自宅付近で死亡事故が続き、子供にも注意していた頃である。

もちろんその‘落書き’を私は今も消していない。

 

お弁当

俺は高校までずっと都立で給食だったし、大学も学食やらコンビニやらで済ませて来た。

母親の手作り弁当の記憶なんて、運動会か遠足、それも遠すぎて覚えてない。

就職しても、社食が当たり前で妻も俺に弁当を作ったことはない。

俺自身も、弁当箱持って歩くのも荷物になるし弁当への思い入れも何もなかったある日、今年中学生になった娘が、
「はい。オヤジさん(←娘は俺をこう呼ぶ)」
とバンダナで包まれた弁当箱を手渡した。

「なんじゃ?これ?」と俺が言うと
「だって、今日オヤジさんの誕生日じゃん」と…

俺、絶句。

「何だ、お前弁当作ってくれたのかよ。食えるのか?」と、恥ずかしさのあまり悪態をついてしまった。

だが、娘は「一生懸命、早起きして作ったよ」と笑顔だった。

素っ気無い顔しときながら、気になって弁当箱の中身を会社について確認したらご飯には、鮭フレークでハートが描いてあった。

おかずはハンバーグと、ウインナーと、ベーコンポテト。俺の好きなチーズも入っていた。

胸が詰まった。

2450グラムと小さく生まれてきた日のこと、
夜中熱を出して夜間診療所に駆け込んだこと、
運動会の徒競走で転んだこと、
父の胸に幼い日の娘の姿がよぎる。

あいつ、こんなに大きくなりやがって。

食べた弁当の味は、しょっぱい、勿論俺の涙の味だ。

 

思い出

先週、娘の結婚式だった。

私も娘も素直な性格じゃないので、
ろくに会話を交わすこともなく結婚前夜が過ぎた。

結婚式当日は、娘を直視できなかった。
バージンロードでは体が震えた。
披露宴では泣きたくなかったので、やはり直視せずにいた。
終始上の空だった。

式が終わり帰宅し、
リビングのテーブルに座りボーっとしていたら妻がパソコンを持ってきた。

妻は、
「今日までしっかり娘を育ててきた父さんにこれが私からのご褒美よ」
と言い、画面に映像が写った。

生まれたての小さな娘、
カメラの前で歯がない口を大きくあけて笑う娘、
ハイハイで駆けずり回る娘、歩く娘、転んで泣く娘、
とうたん、と言う娘、
おとうさん大好きと笑う娘、
私に抱き上げられぎゅっとしがみつく娘、
運動会で頑張った娘、
撮らないでとそっぽ向く娘、カメラに気付き髪を直す娘、
映像の中で娘はどんどん成長していった。

そして、娘の今の映像が映し出され、
私に話しかけてきた。

「結婚式前夜でちゃんと話をできたらいいんだけど…」
という言葉から始まり、
「最後にお父さん本当にありがとうございました。お父さん大好き」
と泣きながら言ってくれた。

パソコン教室に通ってまで頑張ってくれた妻と、
これまで健康に成長したくさんの思い出をくれた娘に、
感謝の気持ちで一杯で涙が溢れた。

死ぬときには、このDVDと一緒に棺に入る。
死んでもずっと私の宝物だ。

 

時給

ヘタレプログラマーは、今日も仕事で疲れきって、遅くなって家に帰ってきた。
すると、彼の5歳になる娘がドアのところで待っていたのである。彼は驚いて言った。

「まだ起きていたのか。もう遅いから早く寝なさい」

「パパ。寝る前に聞きたいことがあるんだけど」

「なんだ?」

「パパは、1時間にいくらお金をかせぐの?」

「お前には関係ないことだ」

ヘタレプログラマーである父親はイライラして言った。

「なんだって、そんなこと聞くんだ?」

「どうしても知りたいだけなの。1時間にいくらなの?」

女の子は嘆願した。

「あまり給料は良くないさ…20ドルくらいだな。ただし残業代はタダだ」

女の子は言った。

「わぁ!ねえパパ。私に10ドル貸してくれない?」

「なんだって!」

疲れていた父親は激昂した。

「お前が何不自由なく暮らせるためにオレは働いているんだ。それが金が欲しいだなんて。だめだ!早く部屋に行って寝なさい!」

女の子は、黙って自分の部屋に行った。しばらくして、父親は後悔し始めた。少し厳しく叱りすぎたかもしれない…。
たぶん、娘はどうしても買わなくちゃならないものがあったのだろう。
それに、今まで娘はそんなに何かをねだるってことはしない方だった…

男は、娘の部屋に行くと、そっとドアを開けた。

「もう、寝ちゃったかい?」

彼は小さな声で言った。

「ううん。パパ」

女の子の声がした。少し泣いているようだ。

「今日は長いこと働いていたし、ちょっとイライラしてたんだ…ほら。お前の10ドルだよ」

女の子は、ベットから起きあがって、顔を輝かせた。

「ありがとう。パパ!」

そして、小さな手を枕の下に入れると、数枚の硬貨を取り出した。父親はちょっとびっくりして言った。

「おいおい。もういくらか持ってるじゃないか」

「だって足りなかったんだもん。でももう足りたよ」

女の子は答えた。そして、10ドル札と硬貨を父親に差しのべて…

「パパ。私20ドル持ってるの。これでパパの1時間を買えるよね?」

 

僕もう三年生やもん

JR大久保駅(兵庫県)から
通勤してたんですが、

 

週2日は10時までに
舞子に着けば良い時期がありました。

 

朝ゆっくりできるし
電車は空いてて快適でした。
ホームへの階段降りてすぐベンチがあり、
そこに書類カバン置いて缶コーヒー飲んでると…

 

「おかぁちゃん!ここ座れるで!座りや!」
と小学生くらいの男の子

 

しまったと思い、
俺はベンチのカバンをどけました

 

「ほら二人座れんでー」

 

母親と目が合い、
俺は座るとこにかばん置いてたバツの悪さから会釈しました。

 

「おっちゃん!ここ座るとこやで!モノ置いたらあかんねんで~」

 

「ごめんな~ぼうず偉いな~」

 

「ボクもう三年生やもん」

 

(おい鼻水出てるぞ)

 

親子はそこから二つ目の明石駅で降りて行った。

 

仲良さそうで、
なんだかいいなぁって思いました

 

それからも何度かこの親子と一緒になりました。

 

「おっちゃん、また大きいカバン持って…仕事大変やな~」
タメ口…( ̄― ̄)

 

その度にこのガキとは
話をするようになったんですが

 

「おかあちゃん おかぁちゃん」
言ってるこいつがまぁまぁカワイく思ってました。

 

ところがしばらくこの親子とは会わなくなり、
俺もこの遅い出勤がなくなってしまってた頃

 

その日は日曜に休日出勤になってしまい
お昼頃ホームで電車を待ってると、
例のガキがその日は父親といました

 

「今日はおとんとお出掛けか?」

 

「うん!いまからおかぁちゃんとこ行くねん」

 

(え?親て別居中?)

「おかぁちゃん病院おってんけど今日帰ってくんねん」

 

へえ…こいつが母親を気遣ってたんは
通院の付き添いやったからか
いいとこあるやん

 

「おっちゃんも仕事頑張れやぁ」
やっぱタメ口( ̄ω ̄)…

 

それから半年くらいたって
駅前がクリスマス一色になった頃に
再び俺はそのガキに会いました。

 

「今日は一人か?おかんは元気か?」

 

 

「おかぁちゃん死んでもてん…」

 

情けない大人で何も言ってやれないまま
同じ電車に乗りました。

 

そんな重い病気やったんや…
だからこいつはあんなに気遣って、
おかぁちゃんおかぁちゃんて…

 

この半年めちゃ悲しい思いしたんやろなぁ
とか考えてたら電車の窓の外見ながら泣けてきました。

 

俺が降りる駅が近づいてきて

 

「どこまで行くん?ひとりで大丈夫か?」

 

「大丈夫や!」

 

「ボクもう三年生やもん」

 

【大爆笑】最高に笑える下ネタの面白い話を厳選した。

3月 1, 2020

 

犬の泣ける話

きなこ

10年以上前に、友達が1匹の柴犬を飼い始めた。

体の色が似ているからといって、その犬は『きなこ』という名前になった。

友達は、夕方になるとよく『きなこ』を散歩させていたけど、活発な『きなこ』がぐいぐいと友達を引っ張るようにしていたから、まるで『きなこ』が友達を置いて逃げだしてしまいそうで気が気でなかった。

笑顔で「新しい家族が増えたんだ~!」と言ってた友達も、リードを離さないようにするので精いっぱいで、ちっとも楽しそうじゃなかった。

『きなこ』が友達の家にやってきて半年くらい経った頃には、友達は『きなこ』の話をしなくなっていた。

『きなこ』の散歩も、友達のお母さんやお姉さんがするようになっていた。

私は、わざわざ『きなこ』を話題に出すことはしなかったけど、初めはあんなに嬉しそうにしていた友達のことが、少しかわいそうだなと思った。

相性が悪かったのかもしれないね、と、私は勝手に心の中で『きなこ』と友達のことをそう結論づけた。

10年くらい経ったある日、『きなこ』が亡くなったと友達から聞いた。

「他の家族と比べて、積極的に遊んだり面倒を見たりはしてなかったけど、死んじゃうとやっぱり悲しいもんだね」

と友達は寂しそうに言った。

そんな友達を放っておけなくて、私はその日友達の家に泊まりに行った。

その日はちょうど友達の家族が留守で、きっと1人で寂しいだろうと思ったから。

夜、布団に入って横になりながら友達といろんな話をした。

勿論、『きなこ』のことも。

「きなこはさ、お姉ちゃんにはすごく懐いてたのに、私にはあんまりだったんだよね。たぶん私のこと嫌いだったと思う」

そんなことを友達は言ってたけど、私は

「そんなことないよ、あんたと『きなこ』は家族だったんだから」

と言った。

そうだ、相性が悪かろうが何だろうが、家族は家族だ。

だって友達はあんなにも寂しそうに『きなこ』のことを話していた。

友達は、「ええ、そうかな?」と言って笑って、しばらくして私たちは眠りについた。

枕が変わってもぐっすり眠れる私だけど、夜中、小さな音が聞こえて目が覚めた。

暗い部屋の中でゆっくり目を開けると、隣で友達が嗚咽をこらえながら泣いていた。

私は体を起こして友達に近づいたけど、友達は泣きながらもほほえんでこう言った。

「『きなこ』がね、夢に出てきたの。夢の中で、もっと一緒に遊びたかったのにごめんねって言ってた」

そして友達は、私にしがみついてわんわんと泣いた。

私が『きなこ』を散歩させている友達を見た日、家に帰ってから友達は『きなこ』を叱っていたらしい。

どうして言うこと聞かないの!と。

すると『きなこ』は友達の右手を噛み、友達はそのことがきっかけで、あまり『きなこ』に近づかなくなってしまったらしい。

「あの時、噛んじゃってごめんね。一緒にいろんなところに行きたくて、散歩ではしゃぎすぎちゃってごめんね」

夢の中で『きなこ』がそう謝ってきたと、友達は言った。

それはあくまで友達の夢の中の出来事で、彼女が自分に都合の良いように『きなこ』のことを解釈しているだけかもしれない。

だけど私は、家族が留守で1人で寂しがってる筈の友達を心配して、『きなこ』が会いに来てくれたんだと思った。

だって、私の腕をつかむ友達の右手が、まるで犬に舐められた後のように温かかったから。

 

友達

あるペットショップの店頭に「子犬セール中!」の札が掛けられました。

子犬と聞くと子供はたいそう心をそそられるものです。

しばらくすると案の定、男の子が店に入ってきました。

「おじさん、子犬っていくらするの?」

「そうだな、30ドルから50ドルってところだね。」

男の子は、ポケットから小銭を取り出していいました。

「僕、2ドルと37セントしかないんだ。でも見せてくれる?」

店のオーナーは思わず微笑むと、奥に向かってピィーと口笛を吹きました。

すると、毛がふかふかで丸々と太った子犬が5匹、店員の奥から転がるように出てきたのです。

ところが、1匹だけ足を引きずりながら一生懸命ついてくる子犬がいるではありませんか。

「おじさん、あの子犬はどうしたの?」

と男の子は聞きました。

「獣医さんに見てもらったら、生まれつき足が悪くて、多分一生治らないって言われたんだよ。」

と店のオーナーは答えました。

ところが、それを聞いた男の子の顔が輝き始めました。

「僕、この子犬がいい。おじさん、この子犬を売って!」

「坊や、よした方がいいよ。そりゃあ、もしどうしてもっていうのなら、ただであげるよ。どうせ売れるわけないから。」

と店のオーナーが言うと、男の子は怒ったように睨み付けました。

「ただでなんかいらないよ。おじさん、この犬の何処が他の犬と違うっていうの?他の犬と同じ値段で買うよ。今2ドル50セント払って、残りは毎月50セントづつ払うから。」

その言葉をさえぎるように店のオーナーは言いました。

「だって、この子犬は普通の犬みたいに走ったりジャンプしたり出来ないから、坊やと一緒に遊べないんだよ。」

これを聞くと男の子は、黙ってズボンのすそをまくり上げました。

ねじれたように曲がった左足には、大きな金属製のギブスがはめられていました。

男の子はオーナーを見上げて優しい声で言いました。

「きっとこの子犬は、自分の気持ちがわかってくれる友達が欲しいと思うんだ。」

 

老犬と老人

22歳になるオスの老犬が来ました。

彼はほとんど寝たきりで、飼い主が寝返りを打たせているので、床ずれがいくつも出来ていました。

意識はしっかりしてるのですが、ご飯も飼い主が食べさせている状態でした。

獣医師の診断では

「体は動かなくなっているけれど心臓が丈夫なのでしばらくは生きられます。けれど、本当に、ただ『生きる』だけです。」

そんなようなことを言っていたと思います。

そのあとはどのようなやりとりがあったのかはよくわかりませんでしたが、おそらく安楽死を検討されたのでしょう。

飼い主さんはかなり悩んでいたようです。

一日たった日の終業後、飼い主さんは老犬を連れてやって来ました。

心電図をつなぎ、静脈に薬剤を注入し、静かに老犬は永遠の眠りにつきました。

その日、外は小雨が降っていました。

飼い主さんは獣医師に

「タクシーをお呼びしましょうか」

と言われたのを静かに断り、

22年間一緒に暮らした家族の亡骸をバスタオルに包んで 、小雨のなかを歩いて帰っていきました。

 

【面白いコピペ】を全力でまとめた結果がこれだ…!【2020年版】

2月 11, 2020

 

お母さんの泣ける話

偉大な母

母子家庭39歳童貞引きこもりで自殺前に母の財布から一万円抜いて風俗行った

それから女にハマって週5で一万円抜いて通った

しばらくして母が病気で入院した

見舞いに来てた同僚の人に「 最近外に出るようになって嬉しい、財布に一万円切らさないように残業の量を増やしてた」

って聞いて働くようになったよ

 

後何日会える?

ところでさ、一人暮らししてる人は年に何日実家に帰ってる?

俺は仕事が忙しくて夏休み3日正月休み3日の、計年間6日位なんだけどさ。

俺のカーチャン今50歳で、考えたくないけど
女性の平均寿命から考えてあと30数年とするわな。

単純計算すると、あと180日位しか会えないことになる。

冷静に考えてみたら、もう半年しかないんだぜ?

おまえらも数えてみ?

あと何日カーチャンに会える日がある?

大切なもの

うちは貧乏な母子家庭で、俺が生まれた時はカメラなんてなかった

だから写真の変わりに母さんが色鉛筆で俺の絵を描いて、アルバムにしてた

絵は上手じゃない

ただ、どうにかして形に残したかったらしい

ほぼ毎日、赤ん坊の俺を一生懸命描いてた

絵の隣に『キゲンが悪いのかな??』とか『すやすや眠ってます?』ってコメント付きで

小学四年生の時、家に遊びに来た友達数人に、そのアルバムを発見された

めちゃくちゃ笑われて、貧乏を馬鹿にされた

友達が帰って直ぐ、俺はアルバム三冊をバラバラに破いてゴミ箱に捨てた

パートから帰って来た母さんがそれを見つけて、泣きだした

破いた理由を言っても、変わらず泣き続けた

翌朝起きると、居間で母さんがゴミ箱から絵の破片を集めてセロハンテープでとめてた

「恥ずかしい思いさせてごめんね。でもね、これ、母さんの宝物なんよ」

申し訳なさそうに優しくそう言われると、涙が溢れ、俺はごめんなさいと謝った

 

ハンドクリーム

俺んち母子家庭で貧乏だったから、ファミコン買えなかったよ。。。
すっげーうらやましかったな、持ってる奴が。

俺が小6のときにクラスの給食費が無くなった時なんて、
「ファミコン持ってない奴が怪しい」なんて、真っ先に疑われたっけ。
貧乏の家になんか生まれてこなきゃよかった!って悪態ついたときの
母の悲しそうな目、今でも忘れないなぁ、、。

どーしても欲しくって、中学の時に新聞配達して金貯めた。
これでようやく遊べると思ったんだけど、ニチイのゲーム売り場の前まで来て買うのやめた。
そのかわりに小3の妹にアシックスのジャージを買ってやった。
いままで俺のお下がりを折って着ていたから。

母にはハンドクリーム買ってやった。
いっつも手が荒れてたから。

去年俺は結婚したんだけど、
結婚式前日に母に大事そうに錆びた ハンドクリームの缶を見せられた。

泣いたね、、。
初めて言ったよ「生んでくれてありがとう」って。

 

タクシー運転手の話

仕事帰りに乗ったタクシーの運転手から聞いた話です。

ある夜、駅ロータリーでいつものように客待ちをしていると血相を変えたリーマン風の男性が「〇〇病院まで急ぎで!」とタクシーに飛び乗ってきた。
男はどこかに電話をかけているようだが、相手が受け取らないようだ。
ヒーヒー言いながら男は平静を保っていた。しばらくすると男の携帯が鳴った。

男「もしもし!母ちゃんの様子は?…。
そうか、頼みがあるんだけど受話器を母ちゃんの耳にあててあげて!…。」
優しいが芯のある声で男が勇気づけるように語りだした。
男「おいおいいつまで寝てる気だよ、 朝散々人のこと叩き起こしてたくせによ。
今せっかく働いて、美味いもん食わしてやろうと毎日頑張ってんのに、」
「おれまだなんもしてねーよ!死ぬんじゃねーよ!おれが手握るまで息してろよな」と言って切った後、男は黙りこくっていた

しかし病院までの道のりはかなり遠い、男の苛立ちを背中でヒシヒシと運転手は感じ、信号を避けるため裏道など利用し最善を尽くした。
しばらく走ると再び男の携帯がなった
男「もしもし…そうか…わかった…もう着くよ」そう言い電話を切ると男は黙りこくった

そうこうしているうちに病院に着き、男は運転手にお詫びを言い病院の中に消えた

私はタクシーから降りる間際、お金を渡し、涙ぐんでこう言った
「覚えていてくれたんですね。これはあの時払えなかった運賃です。ありがとうございました。」

 

親孝行

高校卒業してから4年間何にもしないで家で金を使うことしかしてなかったんだ。
ネトゲやったりとかゲーム買ったりとか。たまに親にも怒鳴り散らしたりもしたな。

そんな駄目な俺が2年くらい前かな。カーチャンスレ見てから必死でバイトと勉強して やっとCMとかやってる大手企業に就職できたんだ。本当にうれしかったよ。やっと親孝行ができると思ってね。

そんで去年かな。ある程度お金が溜まったから旅行に連れて行ってやろうと思って内緒で旅行を予約したんだ。
定番だけど温泉ね。出発の一ヶ月前に内緒で家に帰って発表したら
「ありがとう……本当にありがとう……」
と涙を流しながら喜んでくれたんだ。この為にお金を貯めたのかってくらい嬉しかった。

そんで、それを近所とかに自慢してやがるのww一人暮らししてるから近所のおばちゃんから帰省の時に言われたときは恥ずかしかったw
それで出発の3日前になって電話が掛かってきたんだよ。けど仕事中だから電話に出られなくてさその時は無視してたんだ。

んで後でかけ直したら親父が出てさ
「旅行は中止だ……」
って涙声で言うわけ。訳が分からなくて「何でだよ?風邪でも引いたの?」と聞き返したんだ。そしたら後で
「母さんが……ひき逃げされて……それで……」
頭が真っ白になってその後はよく覚えてないけど。気がついたら葬式の準備が進んでたんだ。

結局母さんは2日間意識不明だったんだけど容態が急変して死んじゃったんだ。
楽しみにしていた旅行が最悪の轢き逃げの所為で葬式になっちまったんだよ。
母さんの遺品を整理しながら自分を悔やんだね。なぜもっと早く親孝行出来なかったのかと。

遺品の中にあった日記帳にはさ
「○○が旅行を予約しててくれたみたい。やったー!」
とか
「旅行まで残り3日!!前日には○○も来るだろうから一杯ご馳走を作れるようにしとかなくちゃ!」
とかギッシリ書いてる訳。それ見てたら泣けてきてさ。濡らしたらもう読めなくなるのに。
涙で文字が滲んで読めなくなるのにボロボロと流れてきたんだ。
その後で家から出てって犯人捜したけど結局見つからず。たぶん捜査は殆ど終わってると思う。

だからこんな事が起こる前に恩返しできるやつは早く恩返ししろってこと
今は父さんに恩返ししてる。文章下手ですまん。
あと飲酒運転とかしてるやつは絶対にするなよ!絶対にだぞ!!

 

ビデオ

俺、小さい頃に母親を亡くしてるんだ。

それで中学生の頃、恥ずかしいくらいにグレた。
親父の留守中、家に金が無いかタンスの中を探しているとビデオテープがあったんだ。
俺、親父のエ○ビデオとかかな?なんて思って見てみた。
そしたら・・・
病室のベットの上にお母さんがうつってた。
『〇〇ちゃん二十歳のお誕生日おめでと。なにも買ってあげれなくてゴメンね。
お母さんがいなくても、〇〇ちゃんは強い子になってるでしょうね。
今頃、大学生になってるのかな?もしかして結婚してたりしてね・・・』
10分くらいのビデオテープだった。

俺、泣いた、本気で泣いた。
次ぎの瞬間、親父の髭剃りでパンチパーマ全部剃った。
みんなにバカにされるくらい勉強した。
俺が一浪だけどマーチに合格した時、
親父、まるで俺が東大にでも受かったかのように泣きながら親戚に電話してた。

そんで、二十歳の誕生日に、案の定、親父が俺にテープを渡してきた。
また、よく見てみたら。
ビデオを撮ってる親父の泣き声が聞こえてた。
お母さんは、笑いながら『情けないわねぇ』なんて言ってるんだ。
俺また泣いちゃったよ。
父親も辛かったんだろうな、
親父にそのこと言ったら、知らねーよなんて言ってたけど、
就職決まった時、
親父が『これでお母さんに怒られなくて済むよ』なんていってた。

俺このビデオテープがあったからまっとうに生きられてる。

 

ありがとう

母さん、マジでありがとう。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。

生んでくれてありがとう。

こんな俺でも生んでくれてありがとう。

愛情を注いでくれてありがとう。

沢山笑ってくれてありがとう。

一緒にへこんでくれてありがとう。

一緒に泣いてくれてありがとう。

あなたは最高の母親です。

オヤジも鼻が高いさ。

いっぱい泣きたい。

あと一ヵ月後にはあなたのいない暮らし。

俺が芋ようかん買ってきたくらいで、病院のベッドではしゃがないでよ。

顔をくしゃくしゃにして喜ばないで。

そして食べながら泣かないで…

母さんが喜ぶなら、芋ようかんずっとずっと買ってくるよ。

母さんがいなくなっても、ずっとずっと母さんの為に喜ぶ事をするよ。

母さん、ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。

すいません。今まで泣いてました…

厚かましいけど、書かせてくれ。

お願いします、書かせて下さい…

最近はずっと起きてる。

なるべく寝ないようにしてる。寝ても二、三時間くらい。

後、俺の家族に残された一ヶ月って時間を、出来るだけ記憶に留めておきたかったんだ。

寝てしまうその時間すらも惜しいんだよ。

俺に何か出来ないか、俺に何か出来ないか、そればっか考えてる。

残念な事に、俺には何も出来ないんだよ。

病気の進行は容赦ない。母さんをすぐに蝕んでいくんだ。

薬の副作用で母さんの顔がむくんで、髪がボロボロ抜け落ちていった時に、

「アハハ、お母さんブサイクになっちゃったわねぇ~!!」

って、母さんは元気いっぱいに俺に言ったんだ。

俺が病室を出ると、母さんの泣き声が漏れてきた。

俺は病院の廊下で恥ずかしながら泣いたよ。

俺の前では元気いっぱいに振舞っていたのは親心なんだって気付いたよ。

母さん、俺バカでごめん。

 

メールアドレス

高校生の駄文ですみません。

私が中3になって間もなく、母が肺がんであるという診断を受けたことを聞きました。

当時の自分はそれこそ受験や部活のことで頭が一杯で、生活は大丈夫なんだろうか、お金は大丈夫なんだろうかとかそんなことしか考えていませんでした。

5月、母は病院に入院しました。たまに家にも帰ってきていたので、治るものだと思っていました。
そして夏が終わり、私は部活でやっていた水泳を引退しました。部活がなくなったので当然時間も増えました。

それからほぼ毎日父に連れられてお見舞いにも行きましたが、早く帰りたい、勉強させろとばかり思っていました。

それから2ヶ月、入院してから半年で母は他界しました。
末期で手術を受ける体力もなかったそうです。
すぐそばで看取る事ができました。
その時は泣きましたが、ああ、こんなものかと思った自分がいました。
人が死ぬというのはなんて呆気ないものなのだろうと。

その後、元通りとは行かないものの、父と親族の支えでなんとか生活のリズムも取り戻して無事に目標としていた高校に入学することができました。
しかし県内でも割と進学校の部類だったので、すぐに落ちこぼれてしまいました。
中学では東北大会まで出場した水泳も受験休みでのスランプから抜け出せずにいました。

そして先日学年末のテストが終わり、家でPCをいじっていて、ふと昔使っていたフリーメールの受信ボックスにログインしてみようと思ったんです。
面白いスパムでも無いかと思って開いてみたら、案の定何百通というスパムメールが届いていました。

その中に見覚えのある母のメールアドレスがありました。

スパムメールにまぎれて何通も何通も。
開いてみると誕生日おめでとうとか、東北大会出場おめでとうと言ってくれているのもあれば、
ちゃんとご飯食べた?とか、父のことを手伝ってあげてねとかそんな内容のが何通もきていました。

泣きました。泣いて、そして後悔しました。なんで新しいメールアドレスを教えなかったのかと。
ありがとうって言えない。
母がいないっていうことと、母が死んだっていうことがイコールになったのはその時なんだと思います。

返信が一年以上も遅れてごめんなさい。
ありがとう。大好きです。

 

デジカメ

なんか機械音痴の母がデジカメを買った。

どうやら嬉しいらしく、はしゃぎながらいろいろと写してた。

何日かしてメモリがいっぱいで写せないらしく

「どうすればいいの?」って聞いてきたが、「忙しいから説明書読め!」とつい怒鳴ってしまった。

そんな母が先日亡くなった。

遺品整理してたらデジカメが出てきて、何撮ってたのかなあと中身を見たら

オレの寝顔が写ってた・・・涙が止まらなかった。

 

日記

私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、

母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えないほど質素で見映えの悪い物ばかりだった。

友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。

ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。

私は生返事でそのまま学校へ行き、こっそり中身を確認した。

すると確かに海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし、彩りも悪いし、

とても食べられなかった。

家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。

私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので

「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とついきつく言ってしまった。

母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。

それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。

母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。

中を見ると弁当のことばかり書いていた。

「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」 日記はあの日で終わっていた。

後悔で涙がこぼれた

 

 

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